イエス様と聖母様のメッセージ - 1988年

 
1988年
01月01日 愛をもって捧げられたロザリオの祈りは、すべての悪魔を征服します。
01月10日 力を尽くして積んだ功徳が崩れないように。
01月30日(1) 苦しみを受けるほど受ける報いが大きくなります。
01月30日(2) 私を受け入れる霊魂の中で、私の心は必ず勝利を収めるでしょう。
02月04日 愛に根拠を置いた私のメッセージを実践すれば。
06月05日 醜い垢を洗い落とすために、輸血者として来られた主イエス。
07月24日 天と地をつなぐ綱である母(天国、煉獄、地獄)
07月27日 目を通して犯した罪が余りにも多くて見るに忍びません。
07月29日 姙娠の瞬間から生命が始まるので、中絶は殺人です。
09月14日 自由意志をもって過ちを犯しても、私はあなたたちを愛します。
11月06日 すべての国家と人間が一致して、聖心の国がかなえられますように。
12月08日 私の位置を探してください。傲慢を折って謙遜になるように、間違いもお許しください。
 
 
1988年1月1日 (神の母である聖母マリアの大祝日)
 愛をもって捧げられたロザリオの祈りは、すべての悪魔を征服します。

午前10時15分に血の涙を流されていた聖母のご像の鼻が急に大きく開いて沢山の鼻血が流れ出ました。激しい苦しみを受けていた私は脱魂状態に入りました。聖母は泣かれる羅州の聖母そのままの姿で現われになり、鼻血を流し、血の涙を流されながら、苦しみの中にあった私に対して、強く悲しみ嘆きながら言われました。

聖母:
全世界が一致しなければならないこの時に、同じ一族が愛し合う事が出来なくで、まだ別れあっています。南と北に分かれた事事態、苦痛なのに、どうしてお互いに不信し合い、憎み合い、猜疑と嫉妬におちいり、対立し合って、勝ちを取ろうとのぞみ、争いあうのですか。あなたたち皆は同じ兄弟であり、同族であり、同じ神の子供たちなのです。

ジュリア:
では、どうしたらよいのでしょうか。

聖母:
十字架に付けられたイエスの声をいつも忘れず憶えていれば、いきり合う事はないのです。国が一つになるように祈りなさい。犠牲として償い祈りなさい。知らずして行う彼らの罪を、代わりに償ってあげるようにと言っているのです。時が来れば、両方とも悔い改めるでしょう。そして一致のためにロザリオの祈りを熱心に唱えるように、すべての司祭たちに知らせなさい。余りにも苦しく熾烈な紛争の中で父の下される罰が非常に大きなものでしたが、小さな霊魂たちが私と一緒に捧げる小さな犠牲と償いが力となりました。
しかし、もっと沢山の苦行が必要です。あなたたち皆を私のマントの中に、今日、集めましょう。愛する私の子供たちが私の心の光を受ける事ができるように、私の受けるこの苦しみを理解するあなたが、私の涙と血の涙が無駄にならないように皆に伝えてください。この前にも言いましたが、ロザリオの祈りは悪魔たちを屈服します。すべての信者たちにロザリオの祈り5連ずつをもっと沢山捧げてくれるように伝えてください。これが国の一致のために捧げられるなら、それで危機を免れる事ができるでしょう。

言葉が終ると聖母の姿は見えなくなりました。

 

1988年1月10日 (イエスの洗礼の祝日) 力を尽くして積んだ功徳が崩れないように。

私は余りにも体の調子が悪くて早く床につきましたが、到底眠る事は出来ませんでした。聖母の事を忘れる事が出来なかったので、すばやく起き上がって夜11時15分に聖母の家の小聖堂に走り、ロザリオの祈りを唱えましたが、ロザリオの祈り1連を12時40分まで捧げていました。聖母と一緒に泣きながら祈っていたのです。

12時40分から脱魂状態に入りましたが、王冠をお被りになった聖母は無着衣の幼児イエスを私に抱かせてくださりながら、あなたたちもこのように子供になりなさいと言われました。幼子イエスが私を撫でさすられた後、聖母が幼子イエスを再び抱き戻されながら、“あなたたちも、このように幼子にならなければ天国に入り難いのです”と言われました

この時の聖母のご様子は羅州の泣かれる聖母と同じでしたが、その姿は大変美しく、唇には微笑みがいっぱいにあふれていて、愛に満ちた優しい姿でした。頭には12の星をつけた月桂冠を頂いておられましたが、その12の星からは光がまばゆく輝いていました。

聖母:
娘よ!
あなたの弱さを忘れて私の愛をもっと深く思い考えなさい。私の愛があなたの弱さの役に立つのですから、あなたの心を澄ませなさい。そうしてこそ、私があなたの中で働く事ができるでしょう。今あなたを苦しめている事をも私に差し出してください。この世にはいつも打ち勝たなければならない誘惑が沢山あります。

娘よ!
私が、私を愛する子供たちを多く試すと言う事をあなたは知っているでしょう。そうです、今あなたは出産の苦しみを味わっています。私は出産の苦しみを味わう子供たちが多くなるのを願っていますが、皆が苦しみの中では寧ろ私を苦しめています。あなたが経験しているその出産の苦しみがあるから、出生があるのではありませんか。この出産の苦しみは必ずつづきますが、私があなたのために準備した報いを考えて、よく耐えて多くの霊魂を救うための助けとなってください。ちょうど金がるつぼの中で精錬されるように、すべてが愛の中で清められるという事を悟らなければなりません。

私の小さな霊魂よ!
あなたたちの積んだ功徳がどんなに多くても、人を中傷し、批判しながら小さな事を疎かにすれば、その功徳が一つずつ崩れてしまいます。ゆっくりと口を開いて、舌を賢こく操るようにしなさい。人を判断したくなる時、愛をもってそれを否定する事も一つの功徳になります。言葉と行いにおいてもっと正しくなってください。

娘よ!
今、あなたは余りにも心が焦っています。私も焦っています。私の愛にもっと高まらなければなりません。この上もなく愛する子供たちが天の財宝は求めないで自ら高くなろうとし、猜疑と嫉妬を重ねながら私の慈悲を疑い、霊魂がむしばまれているのですから、私の心は非常に痛みます。私の娘よ、謙遜を実践しなさい。それは私にとって特に大事な事で、喜びとなる事なのです。絶対に高ぶらならないでください。あなたたちの苦行や親切や犠牲や償いなどが、私の傷にとって癒しの香油となるのです。

私の娘よ!
一緒に働く私の子供たちにもっと愛を施しなさい。彼らが互いに高ぶろうとしているために、驕慢と猜忌と嫉妬の悪魔たちが彼らを狙っていますから、あなたが犠牲をもって彼らに愛を施さなければなりません。愛、愛の前ではどんな悪魔も屈服すると私は言いました。一致しなさい、互いに愛し合いながら一致しなさい。いま私は、あなたに見せて上げる事があります。あなたを通して皆に知らせようとする私の意志をあなたはよく知っているでしょう。

お言葉の途中で私に次のような光景を見せてくださいました。高い山がありました。その上には14の階段があり、両側には樹木もありましたが、それには私達が功徳を積む度に実が成りました

しかし、口で、または行動で罪を犯す度に、積んで置いた功徳の実が落ちてしまうのでした。山の中腹に立って滑り降りる人、正しい道にまっすぐ行かなければならないのに輪を描いて曲がって行く人、階段をすべて上りきるまでには実に険しい道でした。

14の階段の上は、まさに天国であり、神がおられ、主イエスと聖ヨゼフや全ての聖人聖女や天使たちが喜びの声を上げて私たちを喜んで迎えてくださり、私たちの行いはもれなく全て見守られていました。

私達が悔い改める時、最も多くの実が成りましたし、また苦しみをよく耐え忍んで奉献する時、犠牲として他人のためにそれを捧げる時、彼らにも光が降り、私にも功徳の実が結ばれると言う事を見せてくださいました。一つの階段でも上に登ってから死を迎えれば煉獄であり、14の階段まで上がれば天国が近くなって、14の階段を過ぎると天国でした。余りにも大勢の人が転がり落ちるのを見て震えている私に聖母が言われました。

聖母:
娘よ、見ましたか。山の中腹までは誰でも登る事が出来ますが、その14の階段を登りつめるのはとても難しいのです。ですから力を尽くして積んだ功徳が崩れないように、皆に知らせてください。では、ごきげんよう。さようなら。

 

1988年1月30日(1) (午前9時45分-11時45分) 苦しみを受けるほど受ける報いが大きくなります。

協力者までも一致する事が出来ず、互いに悪口を言い合って叛くので、私は苦しみながら聖心の燃える苦しみを受けはじめ、息つぐひまもなく、糞尿まで口から吐き出しながら苦しみました。その時、泣かれる聖母が悲しみと苦しみの姿で現われになりました。

聖母が私たちを非常に強く愛され、一人の霊魂でもより多く救うために、その血を吐きながら述べられた事を、人々は聞き分ける事が出来ず、これに従う事もありません。その手を広げて抱きかかえようとされても、これを振り払い逃げ去るのですから、聖母はその手に非常な痛みを感じられるのです。

聖母と一致する事が出来ず、約束だけはよくしても、それを守らず、司祭たちが多くても愛する子供たちの喉の渇きを癒す事ができないため、聖母の喉の渇きは非常なものとなりました。聖母は言われました。

聖母:
レイモンド・スピース神父も苦しみを受けています。それでも心配しないでください。私に従う司祭たちも迫害を受けますが、私が助けてあげます。余りにも多くの子供たちが私の与えるメッセージを聞き分ける事ができないため、私の苦しみが強まります。私の与えるメッセージが早く伝わるように、沢山祈りなさい。ここにあなたたちが自分で来たのではなく私が呼んだのです。あなたたちは私のもとを去らずにジュリアと共に仕事をしながら、彼女を助けて上げなければなりません。私があなたたちに与える褒美を準備しますから、私を信じて従いなさい。

娘よ、心配しないでください。苦しみを受けるほど受ける褒美は大きい。あなたたち皆も同じです。一つの肢体としてしなければならない仕事が全て同じではありませんから、いろいろな仕事がおのおのに任せられます。与えられた十字架を拒まないでください。

私が愛をもってあなたたちの残り屑を溶鉱炉に入れて溶かし、あなたたちを純潔なものとするでしょう。神がどんなに愛を恵まれても、それを受け入れなければ、神もどうする事もできません。あなたたちは私の聖心の使徒として呼ばれましたから、私をよく受け入れて、お互いに荷を負わなければなりません。

私の苦しみを見て泣く事なく、心の痛みを忘れて、主イエスの苦しみを万国に伝えなさい。多くの司祭と修道者たちは与えられた使命を履行しないで、貞潔の罪に落ち入っています。だからイエスはより多くの矢にあたり、より多くの茨の冠に押さえ付けられて血を流しておられます。しかし、その血を拭ってさしあげる子供たちがいません。それで、早く私の心の伝達がかなえられなければなりません。私の心が裂けて喉が渇いていますが、喉の渇きを癒してくれる子供たちが多くはありません。あなたたちが力を合わせなさい。

私と私の子イエスが寒さに震えていても誰が服を着せてくれるのですか。私の喉が渇いてもその渇きを誰が癒してくれるのですか。人工中絶のために私の腹が裂けるように痛くても人工中絶をどれほど沢山防いでくれるのですか。

司祭たち、司祭たちが、私の愛する司祭たちが貞潔の罪に落ちています。私はひどく腹が痛んでいます。司祭たちのために絶え間なく犠牲をして祈りなさい。悪魔たちが司祭たちを誘惑しないように犠牲と苦行をもって彼らのために祈りなさい。修道者たちが形式的に捧げる聖務日課に対しても、私の心が痛みます。

本当に私を愛してあなたの隣人を愛する事が私の子イエスを愛する事であり、それがまさに神の義の怒りをなだめる事なのです。私の与えるメッセージが世に伝えられて実践される時、父の義の怒りがなだめられ、恐ろしい罰を免れる事ができるでしょう。

愛する私の子供たちよ!
私が愛をもってあなたたちを呼びましたから、この世の最後の日まで、いや私の所に来るまであなたたちを守ってあげますから、私の懐の中で私の手をしっかり握って私に従いなさい。あなたたちが苦行を行なって犠牲として償う時、すべての哀れな霊魂たちを奉献しながら喜ぶ時、私があなたたちを導いてあげます。この世の戦争で戦う時、私があなたたちと一緒に戦うでしょう。助けてあげるでしょう。

私があなたたちを私の心の使徒として呼びましたから、悪魔たちが勝手気ままに振る舞いながらあなたたちを誘惑するでしょう。誘惑に陷らないように私の手をしっかりつかみ、戦争を無くすために戦うだけが戦争ではありません。互いに憎み合って、猜疑と嫉妬をし合うので、この国(韓国)が分かれていますから、あなたたちの犠牲が必要です。だから、互いに手を取り合って仕事をしなければなりません。

今も、人工中絶のために私の腹は裂けるように痛んでいます。ロザリオの祈りをもっと熱心に捧げてください。

愛をもって結ばれたすべての兄弟たちは猜疑と嫉妬などで戦わずに、互いに愛し合いなさい。一致して仕事をしなさい。

愛する娘よ!愛する私の霊魂たちよ!
あなたたち皆が手を取り合って仕事をしなさい。あなたたちが罪を犯す度に私の心臓は裂けて血が流れ、その血が空しく流れているのですから、あなたたちは罪人たちの改心のために祈りながら、この国(韓国)の平和と世界平和のためにロザリオの祈りをもっと多く熱心に捧げなさい。この前にも言ったように、ロザリオの祈り5連ずつをもっと多く捧げるなら、この国は危機から逃れる事が出来るでしょう。ですから、すべての信者たちがこれができるようにしてください。あなたたち皆が一致すれば、この国は勝利を得るでしょう。

私はこの韓国を愛して、非常に愛してあなたたちに近づきました。あなたたちが一致して愛し合うなら、どんな誘惑にも打ち勝つ事ができるでしょう。一致するために手を取り合いなさい。私があなたたちの手を取るように、あなたたちも皆の手を取りなさい。皆、私の懐に抱いてあげます。あなたたちが一致しないなら、私の目から血が流れ、より沢山の苦しみを受ける事になるでしょう

慈善を施しなさい。天国への道を行き惑う、空腹者に慈善を施しなさい。あなたたちは私の心の中に生きるのですから、喜びながら天上の事に心を置いて、天上の事を希望し、自愛心を捨てて、もっと自己放棄の道を、小さな者の道を歩いて、私の懐に戻って来て慰め手になってください。

 

1988年1月30日(2) (22時30分-23時30分)
  私を受け入れる霊魂の中で、私の心は必ず勝利を収めるでしょう。

私は余りにもいろいろな多くの苦しみのために激しく泣いていましたが、聖母が現われになって私を呼ばれました。聖母の姿は今までどうりそのままでしたが、今日に限って背がもっと高く見え、大変悲しく苦しい姿であり、より親しく優しく、慰めるように言われました。

聖母:
苦しみを捧げてくれると言う愛する私の娘よ!
私の涙は無益ではありませんでした。弱くて哀れなあなたを通して、全人類を救いの道に導こうとあなたを呼びましたが、どうなるでしょうか。あなたが悲しむなら、私は、またどうしたらよいのでしょうか。だから、余りに苦しまないでください。ずっと前から、私はあなたを苦しみを通して、正義の火で鍛錬させて来ましたが、神は苛酷だと、あなたは言いました。それはそうです。あなたに与えられた多くの苦しみなど・・・十字架の恐ろしい刑具で冷酷に死ぬ、刀に貫かれた冷たい心臓、すべての肢体を捻じ曲げて、心臓を押しつぶす恐ろしい苦しみ、矢が数えきれなく突き刺されて心臓は麻痺し、鞭打ちのために全身を支える事が出来なくなり、喉が喝き、唾を飲み込む事もできず、頭は茨で押さえ付けられて血が流れ、見るに忍びない苦しみを耐え忍ぶあなたの苦しみを通して、霊的な盲人が目を開き、世俗に縛られた人は自由になって、暗闇に閉じ込められた多くの霊魂が、私の汚れない懐に帰って来るという事を再び言い重ねます。
反対者たちのためにも苦しまないでください。耳のある人は聞き分け、目のある人は見て、私の愛のメッセージをよく実行する者は、まさに私を受け入れるのですから、霊魂が変わり、汚れない私の心が必ず勝利を収めるのを見るでしょう。
ですから、私の娘よ!
苦しみを受ける事を喜びなさい。あなたの小さな苦しみまでも全部私にください。私は贖いの荷が重くても、愛をもって主イエスと一緒にカルワリオの山を登っているあなたと共に、一緒に登るでしょう。さようなら。

1988年2月4日 愛に根拠を置いた私のメッセージを実践すれば。

レイモンド・スピース神父は光州(クワンジュ)大司教区の大司教に会うために、先に羅州を訪れ、聖母のご像の両眼から涙が流れ出るのを目撃しました。聖母は、2月3日夜、いつも安置されていた所から前の方に出て門の方を向いておられました。

スピース神父はミサを捧げようとして祭服を着ながら、人知れず、“確かに聖母は望まれるだけで、常におられるその場所に、自分で戻る事がおできになる。そして、そこで聖母は直接ミサに与られる。ところがその場所に、私が元どうり安置してあげるか。或いは、そこに集まった人々を御覧になれるように、私の前の祭壇の上に安置してあげるか、或いは、聖母が自分で自分の場所に戻られないか”と考えながら、ミサを捧げ始めたのです。ちょうどその時、泣かれる像の聖母は、苦しみながら座ってミサに与っていた、至らない私を通して答えをくださいました。

聖母:
ジュリアよ!
スピース神父に伝えてください。いつもいた場所に私が自分で行く事もできますが、私は神父によって私の場所に戻りたい。像の場所だけでなく、教会の母としての私の元の場所にもです。すべての人から尊敬を受けなければならない私が、卑しんでないがしろにされ、見捨てられ、程よく投げ捨てられて、勝手にむやみに、持ったり、置いたりされながら、私は顔を背けられていますから、私の心は大変悲しいのです。早く私を助けてください。

動けなかった私はルビノ兄にお願いして、神父にそれを伝えるようにしました。しかし神父は私に助けを求められたので、苦しい体を引きずりながら祭壇の前に出ました。

神父が聖母を元の場所に安置するのを一緒に助けるために、私が手を伸ばした瞬間、私は、あっ!と大声で叫ぶところでした。何故なら、両手の手のひらが非常に痛く貫かれたからです。両手の掌の中央から血があふれでました。

聖母:
娘よ!
あなたは後ろの方から、苦しみの伴う犠牲で、私を助けなければなりません。

ジュリア:
母さまのみ旨に従います。

ミサの終りに祝福が行われるとき、私は倒れて脱魂状態に入るようになりましたが、多くの子供たちが愛する事ができず、地獄の道に向かう様子を、聖母は私に見せられました。

聖母:
娘よ、御覧なさい。
私は愛をもって沢山の霊魂を選びましたが、彼らは寧ろ自分を優先する不敬と、私のメッセージを見捨てて、裏切る非情をもって、私の子イエスに大きな痛みを突きつけています。そして続けて残酷に鞭打ち、軽蔑、侮辱するので、主イエスは、今も十字架上の苦しみを受け続けておられます。

私の娘よ!
罪を犯した哀れな霊魂たち、偽善のために霊魂が破滅に至る哀れな私の子供たち、罪の中にいる霊魂たちを救うために私の子イエスは非常に高価な犠牲を払ったのにもかかわらず、そのありがたさも知らないまま、無関心に生活しているので、あなたの苦しみをもっと見事に奉献して、多くの霊魂を救いの道へ導こうとする私の意志に疑わずに従ってください。あなたの多くの苦しみが天国に多くの喜びを積み重ねると言う事もまた信じてほしい。私のメッセージは愛に根拠を置いたものですから、悔い改めて実践すれば、どんな霊魂にも慈悲が溢れるほど注がれるでしょう。

娘よ!
今、私は単純で小さな霊魂であるスピース神父から慰められています。彼は彼の忠節と愛を熱心に捧げるので、私は喜んでいます。私の小さな娘よ、苦しみを受けなければならない私の娘よ!
すべての霊魂が主の懐に戻って来るように、主の苦しみに共に参加しますか。

ジュリア:
はい、母さま。

聖母:
教皇と樞機卿、すべての司教、司祭たちと罪人たちの改心のために、この苦しみを受けなさい。

私は十字架と茨の苦しみ、また聖心の苦しみ (罪を犯す度に、槍、矢、鋭い刀などで刺されるような苦痛) を強く受けましたが、苦しみを受け始めてから25分ほどして、スピース神父は切なくて、私に祝福をあたえ、その後、私の苦しみがとまりました。

 

1988年6月5日 (キリストの聖体と御血の大祝日)
 醜い垢を洗い落とすために、輸血者として来られた主イエス。

私は自力で排泄もできない位の激しい苦しみのために、数日間床から起き上がれませんでした。動かなければならない時には、多くの人が一緒に助けてくれなければならなくなりました。ところが、今日は、聖体と御血の大祝日で、寝床にそのまま横になっている事が出来なくなりました。私は苦しんでいますから、もっと切実な祈りを捧げて、霊魂の垢を清めて、主の道具として恥ずかしくないようにしてくださるように願いながら、困難でしたが、人々に助けられて、主イエスにお会いするためにミサ聖祭に与るよう聖堂へ行きました。

座しているだけでも大変でしたが、側の協力者たちの支えで、ようやく持ちこたえる事が出来ました。主イエスの愛によってでなければ、到底耐え切れないほどの苦しみでしたが、罪人たちの改心のために、私はこの苦しみを奉献しました。
この時、私が見た聖母の姿はとても美しく、身長はおよそ165センチメートルくらいでした。右手にはロザリオを持っておられ、白い服に白いマントは頭から足までを覆い、マントのふちは全体が金色にきらきらと輝き、胸には燃える聖心の姿が赤く動いている感じでした。多くの刀が刺されている姿を見ましたが、それは7個位に見えました。足下には三輪(白、赤、金)のバラの花があり。そして主イエスが血を流しておられましたが、その周りには全身に光が日ざしのように照りかがやき、十字架の上には白い鳩が光を放っていました。

ジュリア:
主イエスよ!
あなたの多くの子供たちが主を切望していますが、よく知らないので、主を迎える事が出来ません。彼らの内に愛の火が燃え上がるようにしてください。わたしは至らない者ですが、自分の苦しみが空しくならないように、彼らのために私を捧げます。助けてください。このすべての事も私の心どうりでなく、主のみ旨が果たされますように。

私は聖体を拝領して、協力者たちに助けられながら自分の席に戻るとき、急に口の中がいっぱいにつまり始め、血のにおいが非常に強く感じられました。体が宙に浮くような気がしてぐるぐると目が回り始め、地面に崩れ倒れるかと思いましたが、聖櫃の前から主イエスの声が大きく聞こえて来ました。

主イエス:
私の姿を御覧なさい。

声の聞こえる方を眺めた私は驚きました。主イエスはむごたらしいほど、惨酷に血を流しておられました。その血は地面に落ちるのではなく、美しいカリスと清いパテナに流れこんで、聖体と御血で、司祭たちを通して私たちに来られます。そのそばには、私たちの仲裁者である聖母が一緒におられました。聖母の姿はいつも美しいのでしたが、今日は非常に切ない姿で輝いておられました。

主イエスが血を流されながら、私たちのために注いでくださる愛のために、聖母は痛みも経験されますが、主イエスが血を流される事によって、私たち罪人の中にまで来られ、私たちが拝領してまた新しく一つになるのをお喜びになります。それで、聖母は一人一人皆が己れを捨てるのを望まれ、清い心で聖体を拝領する事を望んで、祈られます。また主イエスが言われました。

主イエス:
私は全人類を救うために、今もこのように十字架上に釘付けられて血を流しています。その愛の血が空しく流れるようにはしません。私はあなたたちの醜い垢を洗い落とすための輸血者です。私の尊い血は司祭を通して病んでいる霊魂を目覚めさせ、眠っている霊魂を起こす非常に效果のある特效薬ですのに、どうして心の中で習慣的に無感覚のうちに私を受けるのか、非常に悲しい事です。私はこの地上のすべての霊魂の中に、私の愛の全部を注いで上げたいのです。彼らが天上の宴会に与れるように助けて上げてください。

告解の秘跡を度々受けるように、私の母マリアが度々言いました。それなのに、多くの子供たちが形式的に告解の秘跡を受けるとか、または秘跡を受けないで私を受けようとしますから、輸血がうまく成功しません。心から痛悔しないで受ける形式的な告解の秘跡は、寧ろ私を冒涜する事であり、私を受け入れる事ができないのです。心から悔い改めて、秘跡を通してあなたたちの霊魂の内に私が活動できるようにしてください。そして私の愛の全部をこの地上のすべての子供たちに注いで上げたいのに、告解の秘跡を受ける事が出来ず、私を迎える事ができない子供たちが余りにも多いので、次の事を私の指示としておくのです。

私は彼らが心から痛悔して、和解した上で私に会うのを願いますが、やむなく告解の秘跡を受ける事が出来なくて私を迎えられない子供たちは、告解の秘跡を受ける事を先に約束して私を迎える事ができます。しかし、その約束を破った時は、もっと大きな冒涜の罪 (冒涜的に、ご聖体を拝領する事) となります。でも、その約束がよく守られた時には、形式的に告解の秘跡を受け続けるより、もっと大きな愛の火が燃え上がるようになるでしょう。それは、まさにこの世に義人を呼びに来たのではなく、罪人を呼ぶために来た私の愛なのです。

一人の霊魂も漏れ無く私に属するように望んでいますから、このすべての事を私の母マリアに任せたのであり、また重ねて任せます。ですから、私の母に従う道はまさに私に従う道なのです。

さあ、来てください、世のすべての子供たちよ!
今日も私は生けにえとなって、あなたたちを待っています。天上の食卓に皆集まって、一緒に愛を分かち合いましょう。あなたたちの心を大きく開いて私のもとに帰って来る時、あなたたちの過去を問わないで、私はあなたたちに祝福の杯を与えるでしょう。

私の小さな霊魂よ!
あなたにもう一度頼みます。私の代理者である教皇を始め、すべての樞機卿、司教、司祭たちのために祈りなさい。そして絶え間なく犠牲をし、償って、彼らが引き受けた職務に忠実であるように、もっと沢山奉献をしなさい。

克己と清貧をもって私に従ってほしい。

私のすべてをすでに彼らに任せましたから、彼らの行う典礼がまさに私が行う典礼です。苦行を通さなくて、いかにして私に従う事ができますか。彼らが引き受けた任務に一層忠実である事ができるように、あなたが苦しみと犠牲をもっとよく奉献してください。他の人が知らないようにひそかに捧げられる小さな犠牲などが、私の心に慰めとなって、皆に注がれる恵みが豊かになるでしょう。

私の大司祭である教皇と樞機卿、そして司教と司祭たちのために絶え間なく私の愛を送って、その愛がすべての霊魂に溢れるように、私の母が助けるでしょう。私の母に完全に信頼しなさい。

主イエスが祝福してくださり、十字架のしるしをして脱魂状態から覚めたとき、ミサが終わって、主任神父が同じく終わりの祝福を与えていました。その時、私の体は普通の状態に戻って来て、それを見た信者たちは喜びあい、不思議な現象であったと感じました。

ジュリア:
真に良い主イエス!
罪人たちのためにそれほどの愛を恵まれますか。死んで当然であるこの罪人のためにも主が血を流してくださいますから、何か感謝の言葉を申し上げなければなりませんが、私にはそれが分かりません。
主イエス! 私のその尊い愛が全世界の輸血になれば、もう世界は天国となるでしょう。しかし悲しい事ですが、その尊い愛を何も知らないで判断するので、地獄に向かう幾多の子供たちのために、おお、私、愛するイエスは淋しいのです。
主イエス! この身は主のものですから、不足であるとしても、主の居所として、慰めを受けてください。

 

1988年7月24日 (午後9時30分から12時30分まで、地獄の苦しみ)
  天と地をつなぐ綱である母 (天国、煉獄、地獄)

私は夜9時に急に全身から力が抜けて倒れましたが、協力者たちに助けられて屋根裏部屋に上って来ました。そして余りにも苦しく身悶えしました。そうするうちに脱魂状態に入ったようでした。

私は天国と煉獄と地獄を見せていただきました。世間の表現で、天と地の違いだと言います。そうです、甚だしいその違い!救われた子供たちは花畑で平和と喜びと愛を取り交わしているのに、捨てられた子供たちは燃え盛る炎の中で恨みと憎しみで燃えています。

[天国-それはまさに楽園です]

天国に行く霊魂を迎えるために、数しれない天使たちが美しく荘厳な交響楽を奏でながら合唱しており、また数しれない聖人聖女たちが歓呼の声を上げて迎え、主イエスは両腕を広げて待ち受けられ、聖母は手を差し延べてその腕を支えておられます。神もにこやかに喜んで迎えになり、聖ヨゼフも喜んで迎えます。

天国は疑心と嫉妬のないところ、互いを大切にし合いながら愛を恵み合うところ、愛と平和と喜びの溢れる所、食べなくても腹の空かない天上の宴会に与るところです。

聖母は花の冠を備えてかぶせてくださいます。

一緒に手に手を取って踊るところ、楽園の花畑で聖母は主イエスと一緒で、ご自分のチマ (下半身にまとった韓国の女性の衣服) の両端を両手で取られると、それは非常に大きなマントになり、その中に皆が入って来るのでした。お互いが譲り合うところ、傷つけ合う事がなく、秩序を守るところ、顔は笑い、花が咲き、美しさがあふれるところなのでした。

[煉獄-煉獄に行く霊魂]

そこは熱く燃え上がる炎の中に、自分自身が自ら入らなければならないところ。この世で果たし終える事が出来なかった償いなどを、きれいに浄化させるところ。神の恵みの内に死んても、まだ払わなければならない償いが残っている霊魂が、残った諸罰 (小罪や許された大罪に対して、この世や煉獄で受ける罰) などを償うために、自分自身で行かなければならないところ。そして、そこで清く浄化された時、聖母の助けによって、天使たちに助けられて天国にのぼるのです。

生きている私達が、彼らのために祈るとき、その時間は短くなります。人が煉獄の霊魂のために犠牲と償いを捧げるとき、彼らはキリストと共に苦しみながらも早く天国に上る事ができるのです。彼らは苦しみをよく耐え忍ぶ事が出来ずに奉献ができなかった事を後悔しても、すでに時が遅いのです。私達は生きている間に、他人のために犠牲を通した愛を、絶え間なく捧げなければならないのではありませんか。

[地獄-地獄に行く霊魂]

両手を後ろに縛って、天使たちが罪びとを下につき落とせば、同時に悪魔たちがすばやくこれを取り込んでしまいます。その時、炎々と燃え盛る火の中に落ち込むのです。永久に出る事ができない滅亡の道、どれほど後悔して身悶えしても、満足できない憎悪の満ちあふれた炎の海の地獄。

誰が手を取ってくれますか。誰もいません。水におぼれた人がわらをもつかもうとするそんな身悶えですが、しかし一層熱い火の中で駆けずりあいながら、掻きむしり、引っ掻きあい、食べ物も奪い合って食べようとしても、その食べ物がすべて火の中に落ちて燃えてしまい、誰も食べる事が出来なくて争うところ。

両眼がすべて突き出て、恐ろしい悪魔となってしまうところ。見るに忍びない残酷な光景など・・・

聖母:
娘よ!見たでしょう。
天と地をつなぐ綱はまさにこの母です。誤りはこの世のどこにでもあって、悪魔は私が選んだ子供たちまでも多くの誤りに染まるように、そして彼らが落ち込むように誘惑していますから、私の心は非常に痛むのです。それであなたを通して私の声を世の子供たちに伝えようとしています。

ですから私の子イエスが絶え間なく照らしている光と私の愛を知るようにして、彼らが今落ち込んでいる暗黒の落とし穴から逃れるように知らせたいのです。

私のために、私の子イエスのために苦しみを受ける事を喜ぶ私の小さな娘よ!
天国に呼ばれた幾多の子供たちが煉獄と地獄に向かって行きますので、私の心は強く痛むのです。目に入れても痛くないほどの私の司祭たちの中にも、煉獄と地獄に向かって進む霊魂がいるので、あなたを通して彼らを救おうとしています。あなたが苦しみによく耐えて奉献する事は、引き裂かれた私の傷に香油を塗ってくれる事なのです。

ジュリア:
しかし、母さま、私は、余りにも力がありません。私までも母さまの心をいつも満たしてあげる事ができませんでしたし、母さまのために完全に全てを諦めるのが、時には、難しいと思う時が多いのです。私を助けてください。
おお、私の母さま!私たちの盾であり、私たちの慰め手!か弱い私を完全に母さまに任せますから、み旨を果たしてください。

聖母:
今も幾多の霊魂が地獄の道に向かって進んでいます。あなたの犠牲と苦しみを通して地獄の道に進んでいる霊魂を救おうとする、私の苦しみに共に参加しますか。

ジュリア:
はい、母さま!
母さまと共に多くの霊魂を改心させるために味わう苦しみがどんなに楽しい事ですか。母さまを知る前には、私はとても不幸でした、いかに惨めだった事でしょう。しかし今はこの世でこの上なくいたらなくても、苦しみに共に参加するようにしてくださった主と聖母に感謝するのみです。

聖母:
さあ、私の愛する娘よ!自ら苦しみを願うと言う可愛い私の娘よ!
今、あなたは苦しみを受けています。しかし、娘よ!私はあなたよりも、もっと大きな苦しみを味わっているのです。

ジュリア:
母さま!
私がその大きな苦しみを全部受けるようにしてください。なぜこの上なく善良な母さまがその大きな苦しみを全部お受けにならなければならないのでしょうか。

聖母:
あなたと私の受けるその苦しみを通して、誤りに陷いった子供たちが救われるのです。汚れた霊魂たちが私の子イエスの与える血によって醜い垢が清められて、驚くべき奇跡によって救われる事ができるのです。

ジュリア:
母さま、本当に私は、私を全部差し上げます。

聖母:
娘よ!苦しみを受けなければならない私の娘よ!
あなたのすべての犠牲と償いがこの世では重くても、私があなたの手を取ってあげますから、心配しないでください。あなたは私の側に立つでしょう。

ジュリア:
母さま!
私は全く資格がありません。どうして私が大きな事を望めますか。私が地獄の道を行く事で、多くの霊魂を主が住まわれる宮居に捧げる事ができるなら、私はその道を楽しく進むでしょう。私は、一人の霊魂をも、より多く救うための母さまのみ旨に従って、沢山の苦しみを愛と喜びをもって捧げる事を願います。

聖母:
そうです、私の娘よ!それで私はあなたを愛します。その心情が世に流れ出て、霊的な盲人が目を開くようになり、病んだ霊魂が戻って来るでしょう。しかし彼らが私の言葉に耳を傾ける事を拒むなら、彼らが死んだ後に、私は彼らのために何もしてあげる事もできないでしょう。その時は、既に私の子イエスの正義が実現しなければならないからです。それで悪人たちは恥じいるはずで、そして後悔するでしょう。しかし、そのときはもうすでに遅いのです。

[地獄の恐ろしい苦しみ]

地獄は、この世で人の想像では思いつく事もできないほどの苛酷な悲嘆にくれて、泣き叫ばなければならないのです。

永遠の呪いの中で神から切り離された霊魂が非常に多くの方法で、主イエスの正義の審判の下で、痛嘆して泣き叫びながら、後悔し、もがいても、いっさい不毛な呪いの巣窟に行く事がないように、聖母は果てしなく苦しみを受けられながら、私たちを呼んでおられます。母さまのお呼びに“はい”と答える私たちにならなければなりません。

 

1988年7月27日 目を通して犯した罪が余りにも多くて見るに忍びません。

私は夜11時30分から夜明けの2時まで、中絶と出産の償いの苦しみを受けました。私の腹は非常に痛み始め、目が開きませんでした。その目はとげで突かれたように酷く引きつりました。

この世に生まれる事が出来ずに死んだ胎児たちの傷も聖母が治癒してくださるのに、10ヶ月をすべて満たさないで胎児たちを殺してしまった母親たちの罪に対して償いながら、私の腹が膨らんできます。また出産する事が出来なかった母親たちの代理として、子供の出産の苦しみも受けるのです。そうする度に私のこの苦しみを通して悔い改めるように、母マリアが、彼女たちに恵みの泉の水を飲む事が出来るようにされたのです。努力してすべての事を任せる時、必ず慰められるでしょう。目が痛くて目を開く事ができない苦しみは、聖母が余りにも多くの人々の罪のために、目を開いて見る事ができないからです。そして、聖母の姿は見えないで、その声だけが聞こえてきました。

聖母:
娘よ!
あなたの耐え忍んでいる苦しみは、私にとっても切ないものです。しかし、多くの霊魂を救うために命をなげうったあなたの心を見て私は慰められ、あなたの苦しみを通して、さらに多くの霊魂が悔い改めるでしょう。

私は、密かに母さまにささやきました。

ジュリア:
母さま!
私は実につまらない罪人にすぎません。ひたすらこの罪人は母さまだけに属しています。どうぞみ旨を果たしてください。

聖母:
ありがとう、私の娘よ!
あなたは自分をつまらない者だと思っていますが、私にはすべてが大事なもののように、あなたも私にとってなくてはならない大切な道具です。

ジュリア:
母さま!
私は至らない道具にすぎません。この身が碎けて、散り散りになるとしても、我が主のためならできない事がありましょうか。道具として恥じずに母さまに従うようにしてください。

聖母:
今、あなたの目がひどく痛むでしょう。

ジュリア:
そうです、母さま。

聖母:
今ちょうど罪人たちが目を通して犯した罪が余りにも多くて、見るに忍びないのです。それであなたは、今、私と一緒に彼らの罪を償うのです。そして、それは中絶された胎児たち、中絶した哀れな霊魂たちの改心のために受けている苦しみですから、決して空しくならないでしょう。

ジュリア:
母さま、ありがとうごさいます。どうぞ私を道具として惜しみなくお使いください。

苦しみが終わってからも、言葉で言い表わせないほどの痛さのために眠る事が出来ませんでしたが、主と共にいると考えると、それを嬉しく奉献する事が出来ました。目は閉ざされ続けていて、開く事が出来なくなりました。

 

1988年7月29日 姙娠の瞬間から生命が始まるので、中絶は殺人です。

私は出産の苦しみと、胎児が死なないために、身悶えしながら泣き叫ぶ中絶に対する償いの苦しみを耐え忍びました。金曜日で休みの日であるにもかかわらず、朝には13人の癩病患者が訪れて来ましたので、苦しみながらも助けられて外に出て、握手を交わし、手に口付けもしました。

彼らのために心から祈りを捧げました。一人で苦しみながら身悶えしている時、2人の協力者が久しぶりに帰省するので、あいさつのために私の部屋に来ました。その時、時間は3時40分でした。私の腹は膨んで来て、部屋の中を転がり廻りながら、出産の苦しみと胎児の受ける苦しみが始まり、脱魂状態で聖母の言葉を聞きました。

聖母:
愛する私の娘よ!
もっと苦しみを受ける事ができますか。

ジュリア:
はい、母さま!
彼らが救われる事ができるなら、どんな苦しみでも皆受ける事が出来ます。

聖母:
ありがとう、私の娘よ!
あなたが、今日、耐え忍んでいる苦しみを通して、五千人の霊魂が悔い改めて主のお住みになる宮居に捧げられるでしょう。多くの霊魂にも私たちが彼らに代わって苦しみを忍んでいる事を伝えなければなりません。

中絶された子供たちの姿を通しても、また多くの霊魂が改心の恵みを受けるでしょう。無慈悲に人を殺しながらも、自分が殺人者である事が分からないため、哀れにも地獄の道を歩いているのです。

人間の尊厳性を奪い取られて、親の受けなければならない非常に重い罰を、幼い生命たちが受けなければならない事・・・これは余りにも残酷な刑罰ではなくて、何でしょうか。罪のない幼い生命、神がくださった尊い生命を無惨にも踏みにじり、残忍にもすりつぶし、引き裂いて殺さなければなららなかった親たちの無知のせいと無関心に対して、私は悲しみに耐える事ができません。

それであなたに幼い生命が生きようと哀願する様子を見せて、多くの罪人が悔い改めて、私のもとに帰って来る事を願っています。幼い生命が母胎にできた時から既にそれは血の塊りでなく、生命のはじまりと言う事を皆に伝えてください。

ジュリア:
はい、母さま! 母さまが願われるすべての事がかなえられるように望みます。

私は両手をすりあわせ、膝を抱え、足を縮めている胎児の姿になって、吐き気を催しながら苦しみ始めました。胎児を取り除こうとする時、金具でずきずきと突き刺す痛みのために、大きな声で、いけない!、いけない!、いけない!これは完全に絶叫でした。胎児の泣き叫びは到底口では言い尽くせなくなりました

ママ!、ママ!、ママ!、数えきれなく叫びながら逃げ回る幼い生命、それは間違いなく地獄の苦しみに劣るとは言えなくなりました。私が胎児の姿で部屋の中を走り回って転がりながら、どんなに激しく身悶えしたか、何人かの協力者たちが来て助けいただいたにもかかわらず、完全に力がなくなっていたと言います。

胎児:
ママいけない!ママいけない!ママいけない!私は生きたい、ママよ!私を生かせて、私を生かせてよ!ママ!ママよ!!!・・・・・・・・・

数えきれなく繰り返しながら泣き叫びつつ生きたくて逃げ回る胎児・・・その時、私の体は食べる事ができずに飢えて、力は全部抜け、気力が尽きていた時でしたが、超自然の神秘でなければ三時間をそのように力強く走り回る事はできなかったはずです。私は、胎児が身悶えの後に死ななければならない苦しみを4回受けました。側で見守っていた協力者たちはどんなに沢山泣いた事か、祈る事もできなかったと言いました。

 

1988年9月14日 (聖十字架の賞賛の祝日)
  自由意志をもって過ちを犯しても、私はあなたたちを愛します。

主を知る前にも、私は世で暮らし続けて来ながら、私が苦しくても相手の安らかさだけを望んで暮らしを続けて来ました。ところが熱心な信者だと自任する人々までも、理由のない誤解で私を判断し、批判して罪を犯す人々のために味わう多くの苦しみで、私は圧制を受けていましたから、たまらず主に尋ねました。そして主の声が聞こえて来ました。

主イエス:
子供たちよ、御覧なさい。
悪魔はあらゆる努力を尽くして、あなたたちの信仰と信頼心までも搖り動かそうと努力するでしょう。だからあなたたちは、そんな事はないだろうと思ってはなりません。あなたたちは私の心の中に入って来て、私の心と、私の愛をもっと理解してください。

少しでも信頼しないで、悪魔があなたたちの心に入るすき間を与えてはいけません。

信頼心が足りない事は、私の心を痛めるだけでなく、神なる御父を悲しませるのです。

あなたたちが歩かなければならない道はひたすら愛の道、小さな者の愛の道だと言う事を確信しなさい。

私を完全に信頼しながらこの道を歩いて、天上の国へ来る時まで、ただ愛のために生きて、絶え間なく苦しみを味わい、その苦しみを通して愛の心を保ちなさい。

たとえあなたたちが自由意志をもって過ちを犯しても、私はあなたたちを愛します。あなたたちは私のそばを離れない事をよく知っているのですから。

 

1988年11月6日 すべての国家と人間が一致して、聖心の国がかなえられますように。

秋田での名残惜しさは今日もずっと続いて消えません。東京で二晩も泊りながら、秋田では一晩も泊らず、祈りさえろくに出来ず、あわてて出発して来た名残惜しさは多分長く残り続けるでしょう。しかし羅州の泣かれる聖母の写真を見て喜ばれ、驚かれた伊藤司教と神父、そして笹川修道女と他の修道女たちの姿を見て、言葉は通じませんでしたが、聖母の愛が通じた事を感じて名残惜しさの慰めとなりました。
どころが今日は、11時にフランシスコ会館の聖堂でミサに与るようになりましたが、ミサは共同司式のもとに金寿換(キム・スワン)枢機卿と主任司祭と私たちと一緒された呉(オ)・キスン神父、張金口(チャン・グムグ)神父、金(キム)・ビョン神父方によって捧げられました。

韓国の枢機卿に日本でお目にかかれて、どんなに嬉しかったか分りませんでした。1986年5月22日、マニラで聖アンドレア金大建(キム・テコン)神父の銅像除幕式の時にも一緒にミサに与りましたが、再び日本で韓国の枢機卿と一緒にミサに与れたのでした。
ところで聖体奉挙の時に風の音のように上から物音が聞こえ、霧が立ち込めたようにもうろうとしていましたが、枢機卿の後ろの方に聖母の姿が現われ始めました。

余りにもうっとりと、そして美しく白い服に青いマントをはおりになった姿は、羅州で相見て来た聖母の姿とそっくりでした。右手にはロザリオを持って祈る姿で、枢機卿が立っておられる位置より、もっと高くにおられましたが、足の方はかすかで、はっきり見えませんでしたし、まるで雲の上におられるような感じがしました。そこで腕を両方に広げながら光を照らしてくださいましたが、両手から日ざしのように放射が始まり、枢機卿を始め司祭たちと信徒たち皆を照らしてくださいました。その後、聖母の姿が秋田の木彫りの聖母の像の姿に変わって現われになりましたが、そこから声が聞こえてきました。美しく穏やかなその言葉は羅州で聞きなれた、ちょうどその声でした。

聖母:
私の姿を御覧なさい。私の今の姿は秋田の木彫りの像ではありませんか。象徴的な私の姿は少しずつ違いますが、世界の至る所で出現して涙ながらに訴えて来た同じ一人の天の母なのです。
よく聞きなさい。あなたを呼んだこの母です。韓国の樞機卿と呉神父と一緒にミサを捧げるようになった事も偶然ではありません。愛の綱で縛ってあげるために樞機卿と司祭と一般の信者たち、そして日本と韓国、皆が一つに一致するように祈りが必要ですから、あなたたちに頼むのです。今、この時代は余りにも悪くなっています。汚れない私の心の中に、すべての事を任せなければならないのに、任せないので、悪人と罪人が悪魔の誘惑に陥って、悪を善だと主張し、おびただしい誤りに陥っています。また大多数の牧者たちも、福音的な生活をしないために誤りに陥っているので、もっと大きな犠牲と克己が必要です。
国々の国内でも、お互いに一致する事よりは分裂の中で争い合って、互いに愛する事よりは憎しみの中で、平和は常に踏みにじられています。それで私の与えるメッセージが実現する事ができないので、熱狂的な世俗の奴隷になって、愛を分かち合えるせっかくの機会にも心の戸を閉ざして、利己主義で、すべてのものを浪費しているので、私の心の火は炎々と燃え上がっています。国家と国家が対立して、人間と人間が争い、悪が四方に広がって切迫した危険にさらされているこの時、国家と国家が、また人間と人間がお互いに一致して、聖心の国がかなえられますように、信頼と愛をもって沢山の祈りを頼むのです。

その後、すべての姿が消えてしまいました。

 

1988年12月8日(無原罪の聖母の大祝日)
  私の位置を探してください。傲慢を折って謙遜になるように、間違いもお許しください。

“主イエス、十字架に付けられ・・・”と言う聖歌を歌い始めながら聖母が安置されている所に近づいて行くと、その瞬間、聖母が血の涙をぽろぽろと流しておられました。ルビノ兄と共に詳しく見ましたら、既に涙は足の甲へ流れ落ちていました。聖母の前で祈る途中、私は午前10時30分頃に倒れて脱魂状態に入りました。

実際に生きておられる聖母がロザリオを持たれて、いつもの通りに現われられましたが、涙を流される羅州の聖母の姿でした。余りにも美しく慈しみ深い聖母は、足の下まで届く涙を流されながら、美しい声で、優しく言われました。

聖母:
主任司祭を招きましょう。悪魔たちは、主任司祭とも一致できないようにしようと、今まで分裂させるためのすべての方法を総掛りで、いろいろな仕方で気ままに振る舞って来ました。ですから、目覚めて祈らなければなりません。主任司祭、レイモンド・スピース神父のためにもっと祈りなさい。一致のために、一緒に仕事をするように私が心の光で照らしてあげましょう。

殉教の道を通して私と一緒に、手を取り合って仕事をするように、私が選んだので、今からその道を行くでしょう。スピース神父と一層親しく手を取るようにしなさい。この仕事は不足で至らないと言うジュリアが行うのではありません。ジュリアは、ただ道具に過ぎなくて、実際に仕事をするのは、まさにこの私だからです。

おお、愛する私の子供たちよ!
余りにも多くの子供たちが地獄の道に向かっているので頼むのです。司教に知らせて、私の位置を確認させてください。そうすれば、私の与えるメッセージが世に伝えられて、生活の改善がかなえられるはずで、多くの子供たちが悔い改めて地獄の道から解放され、天国を目指して行く時、天の父の義の怒りが和らげられるでしょう。

ジュリア:
母さま!それでも、今、母さまの声を受けて、多くの子供たちが悔い改めて生活を改善させているのではありませんか。

聖母:
ところが大変多くの子供たちが地獄の道に向かっていますので、切なくてお願いするのです。娘よ、見ましょうか。

ジュリア:
はい、母さま、見せてください。

聖母:
そう、善良な私の娘よ!苦しまなければならない私の可愛い娘よ!
さあ、見て御覧。判断と批判する事によって、地獄の道に向かっている子供たちを御覧なさい。

見せてくださるその光景を見て、私は悲鳴を上げて叫びました。

ジュリア:
ああ、ああ、母さま!主イエス!

私はおぞましくて眺める事が出来ませんでした。何故ならば、互いに判断して批判する度に、口から蛆虫が出て来ましたが、その蛆虫は、油断している相手に付いて一緒に罪を犯すようにしました。しかし一人が判断して批判しても、他の人が愛をもって良い話をすれば、その口から愛のメロディーが流れ出て愛の火になって、その蛆虫を溶かしてしまうのです。蛆虫たちはどんなに踏みにじっても死なず、火で焼いても死にませんでしたが、犠牲を通じた愛と愛徳を実践して、霊的な戦いに勝利を得た時には溶けて消えてしまうのでした。聖母が言われました。

聖母:
娘よ、見たでしょう。
ですから、父の義の怒りが極度にたっし、罰をお与えになろうとしておられます。

私は大声で言いました。

ジュリア:
駄目です。多くの罪人たちを許してください。彼らに代わって私が地獄に行き、罪人たちが悔い改める事ができるなら、この多くの霊魂のために私のすべてを捧げます。私の命はずっと前から地獄の道に進んでいたはずですから・・・

哀れで惨めな私を召してくださり、少しでも愛を恵む事が出来ました。もっと大きな事は主と母さまにお目にかかるように気配りしてくださった事であり、少しでも苦しみに、共に参加する事ができる機会を与えくださった事は、当然、受けて耐えなければならない私の義務でした。

恥じ入るこの罪の女を通して主のみ旨を必ず果たしてください。そのような理由で私は地獄に行っても幸せであるより外はないでしょう。ですから、罰を与えにならないでください。

余りにも大きい声で哀願しましたので、側におられた方々も“駄目です”と言う言葉を聞いたと言います。

 

聖母:
そう、されはありがとう。その深い犠牲と克己をもって祈りなさい。私のため侮辱と迫害を受けても、そして不信と憎しみ、誤解、理由のない言葉などによって、いろいろな非難を受けて計略にかかっても、失望しないで、その苦しみを美しく奉献する時、主は多くの罪人たちを罪悪の惨めさから救われて、あなたと一緒になさるでしょう。まさにその苦しみ、幾多の苦しみが世の生活で受けなければならない、あなたが願っていた苦しみであるのを・・・

前の小さな失敗を見ても、苦しみながら新しい決心をする小さな霊魂よ! その中で私は喜ぶのです。

それは失敗を通して傲慢を挫くためであり、謙遜をもって到達できる完徳の極致である事を知らせてあげるためです。もっと信頼しなさい。もっと大きな勇気をもって私に従いなさい。では、さようなら。

脱魂状態から覚めると12時でした。体を動かす事が出来なかったので、担架に乗せられて事務室の部屋で聖母と一緒に居り、多くの方々が祈るよりも、私の側に寄り集まる姿を見て心が痛み、7人の人たちが私を担架に乗せて屋根裏部屋に運ばなければなりませんでした。聖母が悲しく泣かれておられたからです。

ジュリア:
主、聖母!
ありがとうごさいます。苦しみが多ければ多いほど、罪人の改心のためですから、感謝するより外はありません。ひたすら私のつまらない苦しみが、主のみ旨を果たすために使われる事ができるなら、何が惜しいでしょうか。主が私の小さな苦しみを通して光栄をお受けになって、いたらなく浅薄なこの罪の女にすぎない私が感謝を無くしないようにしてください。

* 私の位置: 聖母様は天主の母親おり、すべての聖人や天使の地位よりもずっと高い特別な恭敬を受ける方だ。